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定員を減らすかという悩み…。
段塚ゼミはおかげさまで、小・中学生の全ての学年が定員に達しております。
(唯一残っていた中1の枠も、間もなく定員になりそうな予感)
最近の悩みは、来年度から定員をもっと減らして、もっと生徒への個別対応をしやすい状況をつくるか、ということ。
しかしそうなると売り上げが激減するため、授業料を大きく値上げしなければいけなくなってしまう。
(もともとの授業料が安すぎるため、生徒が多くても薄利だったりします)
非常に悩ましい……。
中学生の定員を16名として、授業料2割増し、くらいが妥当なのだろうか。
いやあ、授業料は上げたくないなあ……。
一方、多数のご入会の希望をお断りし続けている現状、むしろもっと多くの枠をご用意したいという思いも強い。
誰か腕の良い講師を雇って、クラス分けをしようかなどと考えることもある。
母親との会話でよく、「拡大する方向はやめときんさい、あつしがもう2,3人いれば別だけど」なんて言われるけれど、きっとその通りなのだろう。
鳥取の塾業界は人材不足が極まっているらしいし、どちらにせよ僕が指導しないのであれば『段塚ゼミ』ではないのだから、人を雇ってもきっと失敗する。
クラス分けをしても、他人に任せた半分の生徒には、僕の目がなおさら届かなくなるのだから、これは悪手だろう。
余談。
段塚ゼミ立ち上げ当初、「きっと略称は『ダンゼミ』か『ゼミ』になるだろうな」と予想していたのだが、一番多い略称はどうやら『段塚』らしい。きっと名字のインパクトが強すぎるんだなこれ(笑)
「呼び捨てやめて!」なんて思っていないのでご安心を。
むしろ保護者様の中にはさらなる親しみを込めて『段ちゃん』と呼んでくださっている方もいらっしゃるようで、うれしく思っています。
ビリギャルの感想
表題の通り、最近やっと気になっていたビリギャルを観た。
名古屋を舞台としていて、愛知で10年を過ごした僕としては懐かしの場所が沢山映って嬉しい。
成績学年ビリのギャルが熱心な塾講師の元に弟子入りをし、猛勉強の末に慶應義塾大学に合格するというストーリーなわけだが、ネット上では色々と叩かれたりもしているようだ。
『大した奇跡じゃない』というネット上の意見については、僕もある程度共感する。
大手予備校においては、この程度の奇跡は年に数回は起こっていることだろう。
さらにいえば彼女が合格したのは英語と小論文のみで合否を判定する試験であり、それに向けて科目を相当に絞って勉強をしていたわけだ。
学校の授業においても、入試に関係ない科目の授業はほぼ無視をして一年半も受験科目だけを猛勉強したわけだから、合格の可能性は十分にあったことだろう。
また最近ではAO入試(学科試験をほぼ課さない、一芸入試のようなもの)の訓練を専門とする塾も多く、そういう塾ではこの手の奇跡が多分に起こる。
もしビリギャルが複数科目を必要とされる難関国立大学を目指していたのなら、現役合格はまず不可能だったことだろう。
さて、彼女の合格を奇跡と呼ぶのはいかがなものか。それには同意。
だが、それをもって批判している人は少しこの物語の見方を変えるべきかもしれない。
彼女の合格はささいな奇跡だが、些細であっても奇跡をおこすためには途方もない努力が必要だということが映画を観た子供たちに伝わるのなら、それだけで十分に価値のある映画と言える。
ビリギャルの行った努力は、決して誰かに否定されるべきではない。
『大した偉業でもないのに脚光を浴びているのが気に食わない』と感じる人が多いのだろうが、少なくとも僕はあのドラマを生徒に見せたいと感じた。
映画に感化された生徒たちが将来を少しでも真面目に考えるようになってくれれば、儲けものだ。
思うことをツラツラと。
大変沢山の方にご参加いただいている夏期講習会。
講習前には多くの方にお申し込みをいただいたというのに、満席状態が続いており、ご参加、ご入会をお断りせざるを得ないケースがほとんどであったことが心残りで、後ろめたい。
特に、ぜひとも入会したいとおっしゃってくださる方や、お世話になっている保護者様のご紹介の方ともなると、なおさらだ。
当ゼミに入会を希望なさる方は、お子さんが別の塾に通塾中であるケースが9割だ。
塾ではほったらかされていたという生徒や、長年通っても成績に変化が見られなかった生徒が多い。
うちは成績上位者を集めているわけではなく、むしろ入会時は下位層~中間層であった生徒の方が圧倒的に多い。
そういう生徒たちが当ゼミに入会して、何かしらの良い変化を得ることができているから、評判が立っているのだろうと自負している。
劇的に成績が伸びた子は確かに多い。
当ゼミでは「定期テストの総合点が50点も上がった!」などということはざらで、入会以来80点~150点ほど伸びたというすさまじい生徒も少なくはない。
劇的ではないにしろ、じわじわ伸びている生徒も沢山。
けれど厳しい目で見れば、成績があまり変わっていないと言わざるを得ない生徒も10%程度いると思う。
そういう生徒たちの成績をどう上げるのかが目下の課題であり、毎日胃を押さえながら取り組んでいるわけだけれど、上位層の生徒をさらに引き上げるための工夫も怠ってはいけない。
もっと色々と試して、生徒のリアクションを注意深く観察せねば……。
ところで、この夏期講習会では生徒に道徳的なことを指導する機会がちらほらとあった。(話がほんとに急に変わるけれど)。
段塚は結構、謎の名言(迷言?)を言うことが多い。
一方で、自分でも「あれ?いいこといったかも」と思いながらもよく覚えてないことが多いのでメモがてらご紹介を。
ケース①
「先生、最近僕、なんかもう生きる気力がないんです。生きてる意味ってあるんですかね」
「生きている意味を考えるより、なんで死ねないのかを考えるんだ。死ねない理由が、君の生きる理由だ」
何かに落ち込んでいたようでしたが、ひどく納得したようで、その後彼は元気になりました。
ケース②
「強い人間などいない。強くあろうとする人間がいるだけだ」
これは何かの受け売りだった気がするけれど、すごく気に入っている言葉。
誰もが等しく辛い思いをしている。
それを表に出してしまうかどうかで人の価値が決まると教えられた、カッコいい言葉。
ケース③
「もしも親にすべての恩を返した子供がいたとしたら、そいつはきっと世界一の親不孝者だ」
国語の文章読解が、『子育てを終えた更年期・定年期の親が、ひどく寂しい気持ちになる』という内容だったので、親孝行は大切だけれど、あれもこれもと恩返しされてしまうと、親としては寂しい気持ちになるという意味での一言。
僕には子供がいないけれど、きっと、困ったときには頼って欲しいといくつになっても感じるのだろうと思う。
しょーがねーなー と言いながらあれこれと世話を焼いたげたい。
まずは結婚せねば……(切実)。
ケース④
先日の中3の授業の合間に「甘えって何だと思う」と唐突に生徒たちに質問をする段塚。
生徒たちは「あれ買って、これ買ってと駄々をこねること」など、さまざまに答えていく。
そのあとで僕が「んー、それもそうかもだけれど、ちょっと違うかな」などともったいぶったあとで話したこと。
「例えば、精神的にしんどくなることが僕にあったとしても、それは君たちには一切関係ない。
だから僕はどんなにメンタルが破壊されていても普通に授業をする。
たとえ愛する家族を失って絶望の中にあってもだ。
実際に昨年にそういうことがあったけれど、君たちは僕が絶望の中にあったことに気が付かなかったはずだ。
そして君たちに嫌なことがあって、君たちが苛立っていたとしても、それは他人には一切関係ない。
その苛立ちをお構いなしに他人にぶつけることを世間では『甘え』という。
他人は君のために存在するわけじゃない。
みんなそれぞれ、自分の大切な人生を背負ってるんだ。
いいかい、今日から意識しなさい、君たちの苛立ちは他人には一切関係ない。
その苛立ちや悲しみをある程度受け止めてくれるのは、家族や、よっぽど出来た人間だけだ。誰にでもぶつけていいものじゃない。
だから家族は尊い。
だからといって感情のままに暴言を吐いたりすれば、たとえ親であっても愛想が尽きることがある。
恋愛においても言えることだけれど、なぜ気持ちをわかってくれないのか、なぜすべてに同意してくれないのかと苛立てば、別れはすぐそこで待っている。
なるべく自分の感情に負けないよう、訓練しなさい」
これは自分で言いながらも、とっても難しいことだと感じている。
人間だれしも、感情に負ける時がある。
僕もそう。
でも、これを意識して過ごすかどうかで、人生は大きく変わると、僕は身に染みて知っている。
強くいられるよう、一緒にがんばろうな。
夏期講習
間もなく始まる夏期講習会。
段塚ゼミの中学部は予習中心だ。復習に関しては大変チェックの厳しい夏休みの課題が渡される。
さて、夏休みは受験生にとって「天王山」と呼ばれているわけだけれど、その理由は知っているだろうか。
まず天王山というのは京都南部にある山のことで、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が明智光秀を破るべく挑んだ山崎の戦いで重要拠点とされていた場所だ。
そして、天王山を占領した秀吉が勝利したことから、何かの勝負ごとにおいて重要な場所や時間のことをこの山の名前で呼ぶようになったわけだ。
受験生にとって夏休みというやつはまさに天王山で、ここで苦手を克服しておかなければ、その後、内申点の確定する12月までまともに復習をする機会がない。
夏が明ければまた定期テスト対策で大忙しになるわけだからね。
もちろんこれは受験生に限ったことではなく、全ての学年に対して言えることだ。
特にゼミに入ってから成績が急激に上がった生徒は、それ以前の単元に弱い。
夏の間に復習を万全にできなければ、実力テストや受験本番での好成績は望めない。
だから段塚ゼミ生の夏休みは超忙しいぜ。
予習も復習も全力だ。
学校の宿題、ゼミの授業、ゼミの宿題とやることだらけだ。
そして、気を付けてほしいのは「宿題をやらされないこと」。
勉強をするとき、今目の前にある問題の数々は全てテストで出題されるものだと思って解くことだ。
特に間違った問題の解法は理解したうえで反復し、脳に刻み込むべし、だ。
課題や授業は君を苦しめるためにあるんじゃない。
君を成長させて、将来を明るくするためのものだ。
成績の上がった生徒たちの人生があっという間に華やかになるのを、僕は何度も目撃してる。
プライベートはそっとしておくべき?
「生徒のプライベートのトラブルは塾講師の領分ではない。トラブルを招くだけだから首をつっこむのはやめておけ」
この考え方は塾業界では一般的なものだと思う。
実際に僕も先輩方からそう教えられてきたし、それは正しい判断だと思う。
塾は営利目的の企業だし、トラブル一つで潰れることもあるのだから。
一方で僕は、生徒の成績が下がった原因がゲームやスマホであるときには「次のテストで目標点に達しなかったら取り上げる」という話をする。実際取り上げたことも数知れずある。
また、ゼミの中のみならず、学校で何かをしでかしたときにも必ず注意する。
もっといえば、親に対して感謝の気持ちもなく「してもらって当たり前」という態度をしている生徒がいたら100%、説教をしてきた。
さらには、恋愛にどっぷりはまったのが原因で成績が下がった生徒がいたら「人生を左右する試験が控えている大事なときに、夜な夜な連絡をしてくる彼氏が、君のことを本当に大事に思っているわけがないだろう」と、大人げないド正論をぶつけ、節度を守って付き合うことを納得させたことも3度ある。相手の将来まで大切に思うことが愛情なのだと。
そんな感じだから、プライベートに首を突っ込みすぎてトラブルに巻き込まれることはもちろんある。
それで落ち込んで、自分の家族に心配をかけてしまったことも。
こんなことをブログに書いている理由は、「生徒のことを考えています」アピールのためではない。
僕が考えているのは、僕の幸せだけだ。
もっとえげつない言い方をすれば、人並みの生活ができるだけのお金を稼ぐことしか考えていない。
けれどそのためにはゼミの評判を守ることが必要であり、評判を守るためには生徒の成績を上げることが必要であり、成績を上げる妨げになるものを排除する必要があるからそうしている。
必要だから叱るのであり、その叱咤には悪意も敵意もなく、ただ機械的に叱るのだといっても過言ではない。
けれど子供たちは「他人」に叱られることに慣れておらず、「段塚はきっと私のことが嫌いなんだろう」とか、「段塚は僕を退塾にしたいんだ」などと誤解して、気に病んでしまう。
落ち込むのは大切なことだ。
だけれど、僕は君たちが思っているほど、君たちのことを嫌ってなどいない。
早く立ち上がれ。
それだけをいつも祈っている。
だから努力を重ねた生徒が良い成果をだしたとき、僕はあんなに子供みたいに喜ぶんだ。
君たちも見たことがあるはずだ。
普段は叱られてばかりの生徒が努力をして成果を上げたとき、嬉しそうにそれを褒め、評価を変える段塚の姿を。
大人が言うことをきいてくれない?
ちょっとさぼって成績下がったら親や先生がめっちゃ叱ってきてうざい?
良い子ばっかりひいきされてる?
お、おう……。
それが社会では普通さ。
努力しない人間にまで社会が優しいなんて本気で思ってない―――よね?
そう、世の中が誰にでも等しく優しい、なんてことは絶対にないんだよ。
そのことを僕たち大人はよく知っているから、君たちが怠けていたら叱る。
君たちを社会から守るために。
僕はたまに不安になる。
あと何回君たちを叱ってあげられるだろうと。
高校に入った後、君たちをちゃんと見てくれる人がお家の外にもいるだろうかって。
……いつも通り話がそれた。
君を大切に思う大人たちはこれからも君のプライベートも含めて叱るけれど、僕たちは君のことを嫌ってなどいない。
叱られたら頑張ってみ。
それで君が変わったなら、大人たちはそれを正当に評価するし、段塚が飛び上がって君を褒めるはずだ。
うちのゼミ生は周りの子供たちよりも一足先に社会を肌で感じ、強くなってくれているものと信じている。