ブログ
久々の更新
2018年。本当に久しぶりにブログを書いてみている。
最近の当ゼミはといえば、特に変わったこともなく、生徒たちがいつも通りにせっつかれながら勉強し、成績を上げてきている。
私が以前に勤めていたいくつかの学習塾では、定期テストで30点も伸びれば、その生徒はよく褒められていたものだが、私の感覚が麻痺しているのか、いまでは30点アップ程度のことでは驚かなくなってしまった。(もちろん褒めはするが)
テストのたびに、60点以上アップした複数名がいて、半年、一年という長い期間で見れば100点以上上昇した生徒もざらにいて、200点以上アップした生徒もいる。
全体で見ても、成績の上がった生徒の割合は8割を下らないと思われる。
自分でいうのもどうかと思いながらも、これほど点数の上がる塾はそう多くはないことだろう。
都会の缶詰系進学塾くらいだろうか。
「最も成績があがる学習塾」という私の理想は概ね叶ったのだろうか。
などと思いながらも、満足できない自分がいる。
むしろ焦っているともいえる。
そう、コントラストがまずいのだ。
華やかな成績の裏にはいつも、成績が伸びなかった生徒が1~2割ほどいる。
あるいは、成績が上がっている生徒の中にも志望校には届きそうにない者が毎年数名いる。
成績が低迷している生徒の共通の特徴として、「勉強を特別な行為と捉えている」というのがある。
勉強をする習慣がなく、いざ勉強をしようと思うと膨大なエネルギーが必要で、それを支払うのが嫌で、動き出すことができない。
または、一度勉強を頑張ると、そのあとしばらくは頑張らなくてもよい「充電期間」を設けてしまう。
それではいつまでたっても、成績の上昇と下降を繰り返すだけなのだが、分かっていてもいつも勉強をしなくてもよい理由を探してしまう。
部活、習い事、クラブ、文化祭。
そういうものを不勉強の理由にしてしまうのだ。
だから私はいつも「両立ができないのであれば部活も習い事も辞めてしまえ。将来部活や習い事で飯を食うというのなら塾を辞めてそっちに邁進しなさい」と突き放すわけだが、どれほど伝わっているのだろうか。
勉強を「頑張る」という感覚がある限り、成績の上昇や安定は望めない。
成績の良い者は、習慣として、生活の中に学習がある。
ではどうすればやる気が起こらない生徒の成績があがるのか。
答えは一つ。
勉強をするのだ。
嫌々でも、疲れていても。
どんなに膨大なエネルギーを支払おうとも。
近道などないし、あってはいけない。
だから私は日々、勉強をするように厳しく言うし、しなかった時には叱る。
生徒を焚き付け、競わせることも多い。
ともすれば、成績上昇のために理想的なのは「四六時中つきっきりで管理・指導してくれる誰かが存在する環境」なのだろうと空想することもある。
けれど私がそれをするにはあまりにも時間が無く、もしあったとしてもきっと私はそれをしない。
それで成績が上がったとしても、それは指導者の手柄であり、指導者を失えば生徒はきっと元に戻ってしまう。
以前にもブログに書いたが、魚の釣り方を教えるのが大事なのであって、魚を腹いっぱいに食わせることは本人のためにならない。
結局なにが言いたいのかというと、
ええけ、落ちこんどるひまがあったら勉強しんさい。
スマホは別の部屋に置いときんさい。
ということである。